【海苔の歴史】板海苔の普及と海苔巻きの始まり
『日本人の知らない巻き寿司の歴史』 4回目の今回は前回に引き続き、海苔の歴史についてです。(第1回) (第2回) (第3回)
●巻き寿司のはじまりは、海苔巻きにあらず
江戸時代、板海苔は大変高価なもので、幕府の統制下で江戸だけに限り生産が許されていました。板海苔は、生産はできるようになるが、乾燥を保つための方法が少なかった(すぐしけてしまう)ことから冬の特産物であり、出稼ぎ労働者の行商で販売されていました。
山形屋が、幕府公認の御用商人に指定 その後、明治に入ってお茶の山本山といった老舗が海苔を売るようになります。明治29年には東京府内の海苔扱い小売業が101件営業。庶民が気軽に海苔を食べられるようになるのは明治時代の後半であったようです。
●海苔巻きの出現時期はいつだったのか?海苔以外にどんな物が巻かれていたのか?
江戸の文化が栄えることで、食生活も大きく変化をします。一般には、玄米食が中心ですが、白飯を食べるようになり、現在の江戸前寿司も誕生します。庶民の病気で、「江戸患い」とは、ビタミン欠乏症のこと。
明治時代になって、この病気は「脚気」と呼ばれるようになりました。室町、安土の時代には、魚などのつけ込み鮓だったものが、米を使う飯ずし(いいずし)の誕生。押し寿司・箱寿司に発展します。
江戸時代前期にお酢を使ったすしが誕生。1781年に海苔巻き 玉子巻きが出現。すしを ”すのこ” で巻いて締める製法が普及し、海苔の他に、紙(こうぞう紙) ふぐの皮 笹の葉 湯葉 若芽 などで巻いていた。
具は、鱒 むりしタイ きくらげ くり さんしょう粉 たい あわび しいたけ 三つ葉 芽しそ など。複数のものを巻く場合などもあるので、太巻きの形状もあったようです。
守貞漫稿 (もりさだまんこう)※ では、江戸の巻き寿司は細巻だったようです。江戸の握り寿司の種類とともに巻寿司が図解されており、海苔巻としてかんぴょうの細巻が掲載されています。
そして我々が今、親しんでいる江戸前の握り寿司が誕生したのは、江戸後期(1820年頃)です。
※守貞謾稿(もりさだまんこう、守貞漫稿とも)は、江戸時代後期の風俗、事物を説明した一種の類書(百科事典)である。著者は喜田川守貞。起稿は1837年(天保8年)で、約30年間書き続けて全35巻(「前集」30巻、「後集」5巻)をなした。1600点にも及ぶ付図と詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献とされる。(wikipediaより)